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勝田台劍友会「鬼倉道場」の生い立ち

 勝田台劍友会は、医師である故・鬼倉國次先生が千葉県立八千代高等学校の校医をされていたとき、勝田台に劍友会を設立しようと計画され、同先生、同校の佐藤・戸田教諭、勝田台南小学校の金子教諭、剣道愛好家山崎などが設立したものです。

 当時の勝田台団地は、千葉県のモデル団地として生まれたばかりであり、団地の住民も30代前半の方々が多く、活気に満ちていました。

前会長

 先ず、金子教諭が小学生を対象に会員を募り、その結果、約150人の児童が集結しました。 当初は、八千代高校の体育館を稽古場とし、発起人らが集まった少年を指導することとなったのです。

 それから1年ほど経った昭和46年12月、鬼倉先生が自宅医院の隣接地に病院を建設され、その3階部分を鬼倉道場として開設したのです。その際、勝田台劍友会は鬼倉道場と併合され、以後、鬼倉道場として全国に名前をとどろかせることとなったのです。

 道場開設当時、八千代市には剣道連盟すらありませんでしたが、先生方が千葉県剣道連盟に働きかけた結果、連盟として認められることになり、現在に至っております。

 鬼倉先生は、永年八千代市剣道連盟会長として多くの剣友の育成に努められましたが、平成22年12月、ご逝去されました。

 その後、道場の継続につきまして門弟一同で検討をいたしましたが、勝田台劍友会「鬼倉道場」の名称を使用することについてご遺族の了解を得て、鬼倉道場は継続することとなったのです。

 現在、稽古場は、道場のほか、小学校や中学校などの体育館となりましたが、門弟一同、稽古に励んでおります。 

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